先日亡くなられた大橋巨泉さんを一度だけ見かけたことがあります。

1985年、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した翌日、パナホームの販売会社に勤めていた私は、先輩の車に同乗して、捜索活動の様子をラジオで聞きながら成田空港に向かいました。

東日本地区600人程度の営業マンの中で上位15位まで、会社からカナダ研修旅行に招待されていたのです。私は確か12位でしたが先輩は1位に輝いていたと思います。

中途入社の私は、会社の中で押しつぶされそうな重圧を感じていましたが、ある日突然スイッチが入ったかのように営業活動ができるようになったのです。今振り返っても不思議な体験です。商談で不利になればなるほど、周りが驚くようなアイデアが閃き出るようになっていました。

初めての海外旅行でした。墜落事故の話が飛び交う中で飛行機が離陸し、かなり緊張したことを覚えています。そのような気持ちもトップセールスマンが集まってきた機内は賑やかですぐに忘れてしまいました。

免税店で購入した高級ウイスキーを回し飲みしながら、営業マンの自慢話が面白くて、あっという間にバンクーバーに到着です。

バンクーバー市街が一望できる高層ホテルに一泊後、市内観光からカナディアンロッキー、バンフ国立公園へ向かいました。

道中に見る住宅の開放的な外構と花いっぱいのガーデニングが強く印象に残っています。

バンフではシャトーレイクルイーズホテルとバンフスプリングホテルに宿泊しました。バンフスプリングホテルの天井が高くて広いレストランで、気後れしながら慣れないフォークとナイフで昼食をとっていると、背後から甲高く大きな笑い声が聞こえてきました。

テレビで聞きなれた声でした。大橋巨泉さんが中央の席で10名ぐらいの日本人と食事をしていました。海外の高級ホテルで、我が物顔に振る舞えることへの驚きと羨望を感じた一瞬でした。

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今は当時入っていたスイッチは完全に「切り」になっています。